キルケーの魔女を観てきました。ちょっとした感想を書きます。
※ネタバレ有りなのでまだ観てない方はご注意下さい
ラストシーンでクスィーのマスクが剥がれた意味
エンドロール後に流れた映像で、クスィーガンダムの顔を覆っていたパーツが剥がれ落ち、そのお顔があらわになる意味深なシーンがありました。
何を意味するのか気になる、、、
このとき、ハサウェイとギギはクスィーのコックピットの中で2人きりです。しかも直前にギギからキスをしている。
中で営みが行われていてもおかしくないシーンです。
原作では、ハサウェイは最後までギギを抱く事はなかったので、それはないよなぁ、、と思う反面、ここでギギを抱く事で原作と違う展開になるんじゃないか?という憶測をしてしまいます。
マフティーでなくハサウェイ・ノアになれた、、、?
個人的には、マフティーという仮面をギギと対面したことで一時的にでも外すことができた。その暗喩なのかな、、、と思います。
ハサウェイはチェーンを手にかけた罪悪感から、自罰的に正義を執行する役割を担ってきました。(ほんとに良い事なのかは別として)
そのために世俗的な関係や肉欲を断ち切ろうとしているシーンも終盤にありました。
そういったマフティーとしての覚悟や気負いをギギが拭いさったのではないかなぁ
ギギはバイザーを上げたハサウェイの憔悴した顔をみて、憐れむような表情を浮かべており、その後の行動でハサウェイを労る、慰めることを予感させましたから。
とはいえ、今までマフティーとして敵味方問わず多くの犠牲者を出してきたことから、ハサウェイが何らかの裁きを受けないとは思えないし、結末が変わることも考えにくい。うーむ
小説を読み返してみた
小説版の閃光のハサウェイ (中)では最後どうだったのか改めて読んでみました。
ギギを人質に取り、クスィーの手からハサウェイに飛びつくところまでは多少違いはあるものの、大きな変化はありません。
しかし、ハサウェイが彼女を受け止めた後が違います。
小説ではキスをする事なく、2人ともコクピットに入り、その後の会話がしっかりと書かれています。
ハグこそするものの、ハサウェイはバイザーを上げません。ギギに「会いたかった」など自分の本心を打ち明けますが、常にモニターから目を離さず敵の襲来に備えていて、それが原因かギギとの心の距離は埋まりきらないままでした。
映画ではコックピット内での描写はありませんが、クスィーが飛んでいる様子が遠くから長い事映されていたので、その間に小説とは違う展開が中で起きていたのではないでしょうか
その間、クスィーは姿勢を少しも変えることなく、確か後ろ向きに飛び続けていたのでハサウェイは小説のように敵を警戒し続けておらず、ギギとのコミュニケーション()に集中できていたと考えることも出来そうですね。
第3部の結末は変わるのか?
個人的に、閃ハサの映画を観る1番大きなモチベーションは「小説と違う展開、結末が観れるのか?」ってことです。
もちろん高クオリティの美しい映像、音楽も魅力ですが、ストーリーが1番気になります。
自分がまだ気づいてない小説からの変更点も多々ありそうですし、第3部がどんなストーリーになるのか楽しみに待ちたいと思います。
まぁ、笑顔で楽しみにできるストーリーではないんですけどね、、、
